根深い差別意識
真宗大谷派の同朋会運動が「見逃してきたもの」の一つに女性への構造的差別がある。6月の宗議会で佐々木道範議員がその一端を要旨次のように指摘した◆父は同朋会運動に共鳴して自坊で熱心に同朋会を開き、母がそこに集まる人々にカレーを振る舞う姿を見て私は育った。しかし、そこには男が運動のために好き勝手をする裏で女性に裏方仕事を強いる構図があったのではないか◆同朋会運動は戦後の新たな思潮を背景に少なからぬ宗門関係者から共感を集めた。ただ、筆者なりに佐々木議員の言を意訳すれば、その情熱は女性たちにとっては「芸のためなら女房も泣かす」的ロマン主義の側面があったということだろう◆このことは大谷派の文脈では「女性は同朋会運動の主体と見なされなかった」などと語られたりするが、同様の話は日本の社会にいくらでもある。例えば、一定年代以上の各宗派の女性元職員らからは「昔は宗務所の飲み会で女性職員が接待要員にされるのは当たり前だった」と共通して聞かれる◆比較的最近も宗教者で組織する著名な人権団体で女性へのセクハラ問題が起きた。人権のプロにさえ浸透した意識の根深さ。その克服は「女性差別問題への認識を深める」だけでは不可能で、他でもない「この私」の日常の言動を具体的に一つずつ改めていくことだろう。意識の変容には行為の変容が伴わねばならない。(池田圭)