新宗教と体制協力 面従腹背と過剰適応
京都府立大教授 川瀬貴也氏
最近、戦前の新宗教が政府といかに対峙し、衝突し、最終的には協力させられたか、という問題に焦点を合わせた研究書を立て続けに読了した。金子昭氏の『近代日本国家と天理教の時局対応』(法藏館、2026)と、玉置文弥氏の『アジア主義・超国家主義・民衆宗教-大本教と道院・世界紅卍字会の連合運動』(春風社、同)である。
金子氏の著作は、本紙でも今年1月23日号の「中外図書室」および4月10日号の金子氏自身の「論」で紹介されているが、簡単に要約すると、タイトルの通り「時局対応」という形で当時の政府の方針に従わざるを得なかった戦前の天理教の苦い歴史を振り返ったものである。殊に『明治教典』と呼ばれるものを作成したことが大きかったと金子氏は述べる。これは外部の神道学者に依頼して作成されたもので、当時の国民道徳運動に呼応するためのもので、中山みきの説く教えのラディカルさは後退させられた。時代が進むと、当時の国体論に抵触する恐れのある「おふでさき」「おさしづ」「泥海古記」などの原教典を「封印」し、教団は「革新」と呼ばれる教団改革をせざるを得なかったのである。
このような国家の桎梏は敗戦で解かれ、元の教典が回復され、それを「復元」と天理教では呼ぶが、「おふでさき」をはじめとする原教典を利用した戦意高揚が行われなかったことがある意味は「不幸中の幸い」であったという評価は興味深い。戦後の急激な方向転換はいわばこの「面従腹背」の水脈から説明されるわけである。
玉置氏が取り上げる大本(教)は、戦前に二度の大弾圧を受けた教団として著名である。しかし大本は1935年の第二次大本事件の直前までは当時の国体論や満州国建設などの国策に寄り添うかのような態度を取り(翼賛団体の「昭和神聖会」結成などが典型例であろう)、最終的にはその「国体の解釈の異端性」で弾圧された、とこれまでの研究で指摘されてきた。
一方、玉置氏の書で紹介されているように、大本は中国の紅卍字会(道院)との連携を図るなど、国境を越える「民衆(宗教)同士の連合」を模索する活動も試みたのである。大本は以前から「超国家主義(これは行き過ぎた国粋主義と、国境を越えるインターナショナリズムという両面を包含する言葉である)」という単語で説明されてきた。この書では官憲による弾圧の過酷さはさほど描写されていないが、国家を超えるような理想に燃えていたはずの信仰、もしくは運動が国の意向に寄り添うことでどのように性格を変えてしまうのか、という歴史の皮肉(もしくは悲劇)を詳細に説明している。
この二つの教団の歴史を顧みるに、ありきたりの感想だが、当時の国策(または民衆の意向)に逆らうことがどれだけ難しいものか、というのを改めて痛感する。さて目下、現政権は「国旗損壊罪」や「国家情報局」創設法案というものを検討しつつある。おこがましい言い方にはなるが、このような戦前の新宗教の体制協力を扱った書を「時事評論」というコラムで紹介することが「時宜にかなう」ように思えるのは不幸なことだと思う。





