変わり果てた故郷 飯舘の帰還困難区域解除(10月13日付)
東日本大震災に伴う東電福島第1原発の事故で長く帰還困難区域だった福島県飯舘村長泥地区の一部で、今年5月に避難指示が解除された。だが、村にずっと居残り住民の気持ちを支えた綿津見神社の多田宏宮司の案内で12年ぶりに立ち入ることができた山間の里は変わり果てていた。
事故で飛散した超高濃度の放射性汚染物質が山を越えて降り注いだ同地区は、生活に危険な高放射線量のためバリケードで封鎖され、74世帯280人余りの住民は家も土地も捨てて長年避難を強いられた。山中の国道の撤去されたゲート跡を越えて入った集落は、この9月になっても人影はなく、荒れ果てた田畑の間に朽ち果てた民家が見えた。長年無人だった住宅は10軒を残して取り壊された。
目立つのは多数の重機や工事用車両、作業用の更地。実は解除されたのは特別措置法に基づき指定された「特定復興再生拠点区域」で、除染で出た汚染土などを埋めて農地造成に使うのを前提とした事業が国の主導で進められているのだ。帰還を諦めかけていた住民は、避難解除にいちるの望みをかけ、この“交換条件”を苦渋の決断で受け入れた。
だがそれも地区面積のわずか5分の1。避難で牛を手放した酪農家もおり、元の生活は到底望めない。故郷に戻りたい気持ちは皆同じだが、村が居住人口目標を「約180人」とする中で現状、帰還準備宿泊に登録したのはたった数人だ。
地区中央には、真新しい「長泥コミュニティーセンター」が際立つ。「復興拠点」として開設され、帰還しなくても農作業などに通う住民の宿泊にも供される。だが、居合わせた元区長の農業、鴫原良友さんは「建物が立派でも誰も来ん」と唇をかんだ。遠く避難先の福島市内に新居を構えたため、除染のため解体した自宅の再建は困難。花卉栽培が盛んで「花の長泥」と呼ばれた故郷を再生しようと、たびたび地区に入って仲間と花植えもしてきたが前途は不透明だ。
公設の復興住宅はなかなかできず、「通い帰還」などという矛盾した表現が住民の口から出る。残る地区の除染には膨大な手間と費用がかかり、「全て税金では公共事業のようで問題。原因を作った東電に出費させるべきだ」との論議が出るのも当然だろう。
多田宮司が兼務し、避難中に荒廃した社殿を最近再建した白鳥神社の丘からは、重機の動き回る広大な造成地が見える。かねて「原発は人間の過ち」と批判してきた宮司は終始険しい表情だった。