解散命令請求 ようやく、だがなぜ今まで?(10月20日付)
旧統一教会(現世界平和統一家庭連合)の宗教法人解散命令請求が13日、文部科学省から東京地裁に提出された。安倍晋三・元総理の射殺事件に端を発した政治的な流れを背景に、マスメディアは岸田文雄総理の政治的判断にも目を向けた。
解散命令請求は宗教法人法に基づく手続きで、建前上、権力者個人の恣意を前提しない。ただ、オウム真理教事件を契機に「改正」された宗教法人法は国家が宗教を管理する方向へ一歩踏み出すものとして、宗教界から違憲の批判があった。特に抗議が集中した備付書類提出義務化とともに、報告徴収・質問権もこの時導入された規定である。改正法の運用については、国家の側の拡大解釈による政教分離違反が警戒されてきた。
今回の解散命令請求に対しては、宗教界の一部から「信教の自由」の観点で批判する声があるようだ。「信教の自由」に関しては本紙でもかねて強調してきたように、社会的な共通認識形成を目指した議論が必要である。ただし、これまでは実質的な論議には至らず、「信教の自由」というスローガンだけで終わってきた――その内容に関しては大きな認識の差があるにもかかわらず。
宗教団体に法律上の能力を与える法を、国が宗教法人を管理する法に変えた1995年の法改正はある意味で日本における「信教の自由」の定着度を試すものであった。だが、違憲性に抗議する声は京都仏教会や日本基督教団京都教区を除き、いつの間にか消えた。
ともあれ、法が適切に運用され、大き過ぎる問題を抱える旧統一教会に対し、法人の「解散命令請求」が出されたのは大きい一歩だと評価したい。裁判所の決定が出るまで時間がかかりそうだが、旧統一教会の正体を隠した勧誘、経済的被害などの救済に関わってきた人々にとっては、ようやくここまできたという思いだろう。
むろん、別の角度から見ると、本質的な問題は解決していない。旧統一教会は民主主義の理念、システムになじまぬ形で政治権力にも食い込み、正体を隠しながら影響力を行使してきた。それに対する明確な問題提起、告発がなされてきたにもかかわらず、なぜ最近まで同様のやり方で活動を続けられたのだろうか。
この根底には、ジャニー喜多川氏の性加害を隠蔽してきた構造とどこか通じる社会の病理がある。戦後の日本の政治の闇の部分ともつながる旧統一教会問題は、ある意味でオウム真理教事件に劣らず深刻で、しかも現在進行中の案件なのである。