信仰に基づく悲嘆ケア 震災遺族の心に寄り添う(10月27日付)
東日本大震災で最多の犠牲者、被害の出た宮城県石巻市にある浄土宗西光寺では、毎月命日の11日に遺族らの集い「蓮の会」を開いている。20人ほどの会員が悲嘆を分かち合うグリーフケアの催しで、樋口伸生住職は僧侶として被災者たちの苦難に寄り添う多彩な弔いの取り組みを続ける。
あれから12年半となった9月の会では、本堂に集った犠牲者遺族たちと関東から傾聴支援に訪れた僧侶らを前に、住職が「倶会一処」の教えについて「亡くなった人に浄土でもう一度会いたいという願いは深い信仰の中でこそかなえられます。阿弥陀様の助けを信じられるよう自分の魂に向き合い、良いことを見つけ出して実行し、しっかり生きましょう」と分かりやすく話した。
会のきっかけは震災の年の12月、被災者の生活支援などを続けていた住職が遺族の心の支えの必要性を痛感した出来事。ある集まりで「私たちも命を終えた時、阿弥陀様のもとで再会できるのです」と話すと、打ちひしがれうつむいていた遺族がすっと顔を上げた。「教えが求められている」と確信した。以来150回近く開かれるこの会は、グリーフケアが仏教者の確固たる信仰に裏打ちされている顕著な例と言えよう。当時12歳の三男を津波に奪われた母親も息子に会いたい一心で参加した。当初はもう生きていたくないと絶望したが、通ううち「今こうして寺で癒やされるのも息子がいたから」と思えるようになったという。
住職は「魔法のように救われるというようなものではないし、誰も自分の感情を型にはめられたくはない。受け止め方は人それぞれですが、やはり僧侶としては教えにのっとらないと」と、苦しむ人が仏教的に生き遂げてほしいとの願いに支えられている。一方的な“布教”との大きな違いだ。
勤行に続く茶話会は和やかな雰囲気だ。遺族らは近況報告や世間話で打ち解け、その中から故人の思い出話がぽつぽつと出る。「死んだ家族が知っている元の自分の姿に早く立ち直らねば」などの訴えに住職らはじっくり聞き入る。「周囲から『もう落ち着いたでしょ?』と言われて傷ついた」「家族に何もしてやれず、独りで往かせてしまった。なぜ、自分が生きているのか」といった心情が涙ながらに吐露されることも多い。
檀家だけで180人を送った樋口住職は「ご遺族は人には言えない複雑な思いをまだまだ抱えており、それを口に出したり静かに祈ったりする場が不可欠」と語る。人間に仏教はどう寄り添うか、いのちのことを真剣に考え続ける。