貧困高齢多死無縁 “四苦”と寺院の使命(11月15日付)
葬送の姿はある意味で社会の縮図だ。報道によれば、公費で葬祭費用を負担したケースが2022年度は5万2千件を超えた。20年前の2倍以上の件数だ。公費とは生活保護法に基づく葬祭扶助のことを指す。さらに、葬儀が終わり火葬や納骨が済んでも、今度はその遺骨の引き取り手がいないケースが増えている。そのため市町村が保管する遺骨が増加し、それは全国で6万柱にも上るという。
前者は資産も身寄りもない人々がそれだけ存在することを示し、後者は身寄りがないか、身寄りがあっても遺骨すら引き取ることのできない事態が起きていることを示している。仏教的、宗教的に深刻なのは後者のケースだ。というのも、遺骨のほとんどが身元も遺族も判明しているにもかかわらず、文字通り無縁仏として合葬されるからである。
こうした事態から、貧困・高齢・多死・無縁という“四苦”が日本社会全体にじわじわと浸透していることが読み取れる。これら“四苦”の中でも、最初の三つは個人の努力を超えるところがある。貧困は社会の経済状況に大きく影響され、高齢や多死は人間の不可避的過程だからだ。もし一つだけ人間的努力で変えられるものがあるとすれば、それは最後の無縁という苦である。
縁は血縁や地縁によって担われてきた。しかし家族が離れ離れに暮らし、地域社会とのつながりもなくなってくれば、努力して人間関係を保たない限り、社会的に孤立する恐れが出てくる。そして本人が亡くなり、遺骨が誰にも引き取られなくなると、祖先とも子孫とも縁が切れてしまう。横の縁だけでなく、縦の縁まで失われてしまうのだ。無縁社会の本当の問題はここにある。だが、これら縦と横の縁をつなぐ要衝的結節点こそ、実は寺院なのである。
寺檀関係は先祖を祀る家があって初めて成立する。この関係は親など近親者の死を媒介として子孫に引き継がれていく。葬式仏教とやゆされることが多いが、葬祭こそが人間の縁を縦にも横にもつなぐ重要な儀礼なのである。
僧侶の高齢化や檀家の減少などで、確かに寺院を取り巻く環境も厳しい。寺院もまた社会の変化、時代の流れの中にあるからだ。しかしそれは、家の在り方に合わせて、寺院の対応も変化すべきことを示唆する。高齢単身世帯が増えてきた現在、檀徒の家や家族を護ることは、寺院護持の基盤を堅固にすることでもある。そのことを踏まえてみても、寺院は現代の“四苦”に取り組む使命を有するのである。