脳死臓器提供1千件 なおコンセンサス未確立(12月13日付)
1997年10月に臓器移植法が施行されてから26年余。国内での移植は脳死でないと実施できない心臓や肺、肝臓で800件に達した。この数字を、「それだけの患者が救われた」と見るか、「それだけのいのちが判定によって死とされた」と受け止めるかは、宗教界そして宗教者にとっても重い問題である。
実は脳死からの臓器提供自体は既に千件を超えた。しかし臓器の状態の問題など主に医学的な事情から、うち9件は移植に至らなかった。この点は当初から続く課題であり、また脳死判定・臓器摘出ができる大学病院など「提供医療施設」約900カ所の中、半数が判定医師不在など「体制が整っていない」と日本臓器移植ネットワークの調査に答えている。
移植を実施する側の医療機関も心臓・肺では11カ所と限られ、加えて提供者の絶対的不足という事情から提供も移植実施も欧米などよりも非常に少ない。今も海外での手術が続き、中には違法斡旋で事件になるケースもある。
だがより根本的な問題は、法が移植に関して「人の死」とした脳死が本当にいのちの終わりと言えるのか、国民のコンセンサスが未だ確定したわけではないことだ。現に2021年に内閣府が実施した世論調査では、脳死になった場合などの臓器提供の意思表示をしているのはわずか10%だった。
1999年の1例目の脳死臓器移植の取材に携わった際、当初は「愛の贈り物」「命のバトン」とレシピエント(患者)側の視点に立って讃える姿勢が目立ったのが、脳死判定に問題はないのか、ドナー(提供者)側の悲しみは、という観点から美談仕立て一辺倒の報道にブレーキがかかった。しかし当時、いのちの専門家であるはずの宗教者のコメントはメディアにはほとんど求められなかった。
その後は宗教界を対象にしたアンケートも実施され、主な教団は知見に基づき教学も踏まえて見解を示すようになった。釈迦の「捨身飼虎」を引いて「臓器提供は菩薩行」とする姿勢の一方、「人体をパーツのようにやりとりするのは問題」「手足を失っても生きた人間であり続けるのに脳が駄目になったらそうではないのか」と脳死を死とすることを批判する意見も多い。移植に反対の意思表示のための「ノンドナーカード」を発行する教団もある。
宗教界で見解を統一することにはならないだろうが、いのちの専門家であるなら個々の宗教者も、例えば檀家や信者の家族がその事態に直面した際にしっかり問いに答えることが求められよう。