「いのち」を祀る 靖國・護國は遺族の神社か(8月7日付)
戦争で亡くなった英霊を祀る靖國神社や護國神社は、遺族の高齢化が進む中で、この先、誰が護持するのかという深刻な問題を抱えている。しかし護國神社の「行く手」にあるのは、行方の知れない不安定なものではなく、「いのち」を祀る「まつりの場」としての明確なイメージであることを繰り返し説いてきた宮司がいる。
戦後生まれの護國神社宮司として、50歳で愛知縣護國神社に奉職した臼井貞光氏(現名誉宮司)は、「戦争の話をしない護國神社の宮司になる」と宣言し、遺族を前にした宮司就任の挨拶で「靖國神社、護國神社は、ご遺族にお支えいただいたことは事実。しかし決して遺族の神社ではない。早く本然の神社に戻そう。いよいよこれからが本然の靖國神社、護國神社の時代到来である」と話した。
これには深い思いがある。護國神社での毎日は、直接に「いのち」と交わる神職生活だったと回顧する。神社に祀る英霊の親の参拝はすでになく、夫人も高齢者でごくわずか。子ども世代も宮司より年上で、社頭で直接遺族に会うことが少なくなった。そこで身に染みて考えたのは、神さまである英霊の誰一人として自分のために戦地へ赴いた人はいない。何より「我がいのち」よりも大切な親、かわいい奥さんや子どものためであった、ということである。
国を護るということは、戦場と化すこの国に生きる家族のために、一つしかない「いのち」を捧げることである。社頭で出会う遺族がいつも口にするのは「主人のいのちは、今私がここに在ることです」という言葉。その言葉を老婦人に言わせるのは「神さま」以外にはいない。だから、英霊に「おかげさま」と食事を差し上げ、感謝を申し上げる場は靖國神社であり、護國神社である。翻って考えてみると、今を豊かで幸せに過ごし、平和を享受しているのは私たち国民の全てだろう。そうであるなら、「英霊の遺族は全国民である」という臼井宮司の思いは大きな意味を持ってくる。
愛知縣護國神社は、臼井宮司の先代が「護國神社にも神田を持ちたい」と言い始めて、県内の田んぼに「愛知縣護國神社献穀田」の標柱を掲げ、お田植祭から抜穂祭や刈取祭をやり、新嘗祭の斎行という重要祭祀を実現した。さらに臼井宮司は「子孫繁栄」こそ英霊の願いであることに気付き、「人生儀礼の全てがいのちの物語であり、それをご祭神がお聞きになる場が神社である」と得心して、神前での結婚式をはじめ初宮詣、七五三詣等を相次ぎ行った。こうした歩みは「護國神社を本然の神社とする」ための先駆的な取り組みとして歴史に刻まれるだろう。





