寺院存続の危機 信仰の継承こそ喫緊の課題(11月4日付)
近い将来、寺や神社の数が激減するというイメージは半ば常識化している。最近も日本経済新聞(オンライン)が2040年には18万ある宗教法人の3分の1が「存続危機」とする石井研士・國學院大名誉教授の試算を紹介していたが、見た人もいるだろう。
存続の「危機」の感覚でいえば、経済的理由でそれにうなずく宗教者も多いはずだ。檀家離れ、深刻な過疎化がその背景にある。
歴史を遡れば戦乱や政治的弾圧などで地域的に寺が破壊されることはあっても、人々の信心によって復興を繰り返してきた。しかし、後継者確保の困難化は、再興・再生の希望を許すかどうか。
後継者難の根底には信仰の継承という根本的問題が存在する。宗派によって多少事情は異なるだろうが、寺で家庭生活が営まれ、寺が内部から世俗化することで、学徒の教育は難しくなった。世間一般の家庭で宗教が重要性を失い、親から子へと信仰の継承が行われることがまれになるのと並行して、寺の家庭でも宗教を中心とした生活が薄れ、宗教的教育が「押し付け」として敬遠される感覚さえ一部で生まれてきた。
禅宗などでは、本格的な修行に入る前の「雛僧」教育をどこで行うかが問題になっている。信仰の実践に入る道心を育む足場がないのだ。経済的問題とは別に、教団を支える人材が枯れてゆくのを防ぐ対策が緊急に必要である。
信仰の継承の危機は日本の仏教だけではない。最近バチカンの教理省が作成した「時代を画する変化における信仰の伝承に関する考察」という文書は、「家庭内での信仰の伝承の崩壊」を重視する。
「つい最近まで、家族は信仰が世代から世代へと受け継がれる主要な場であった」が、いまや「世界の多くの地域で家族内での信仰の伝承が途絶えている」。それが「現代の特徴の一つ」だという。
教理省はこの傾向の根底にあるものを「自己主権」の賛美、ますます顕著になる個人主義の広がりであるとし「長きにわたる世俗化の過程の最も明白な影響の一つ」と論じている。
「過激な個人主義」「自己崇拝」といった批判にはさすがに異論があるかもしれないが、家庭内での信仰継承の危機に関する分析としてはその通りだろう。
いずれにせよ、宗教界は「家庭」内での宗教的教育あるいは薫育の困難さに直面している。檀信徒教化とともに、寺の学徒教育の課題でもあるだろう。寺が経済的に立ちゆかなくなる前に、ふさわしい後継人材が枯渇しないよう、寺の家庭内での宗教的養育、それが不可能ならそれに代わる教育の一層の充実が求められる。







