引きこもり時に多数の哲学書と出合い、執筆を続ける しんめいPさん(36)

人生のピークは東京大に合格した18歳の時だったと著書の中で振り返る、しんめいPさん。卒業後の14年間で職と家と妻を失い、あり余る時間と虚無感を埋めるように読んだ多くの書籍の中で東洋哲学と出合い、自分探しのまさかの答えが「本当の自分とか、どうでもよくなった」だったという。
伊賀明
著作『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』の中で釈迦、龍樹、老荘(老子・荘子)、達磨、親鸞、空海の思想を取り上げました。登場する大半が宗教者ですが、自身の信仰は。
しんめいP 特にこれといった信仰はありません。実家の宗旨は浄土真宗でしたが、実家のある大阪府岬町は和歌山県に近いこともあるからか、地域としては弘法大師を身近に感じていました。著書の中でも親鸞聖人と弘法大師空海の思想を取り上げましたが、自分と縁があったのかなと思います。
執筆前の宗教へのイメージは。
しんめいP 執筆前でも段階があって、高校生の頃までは宗教といえばカルト的なものを連想して、良くないというイメージでした。特に、1995年に地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教関連の事件や、2001年にイスラム過激派テロ組織のアルカイダが起こした米国同時テロ事件などのニュースを子どもながらに見聞きするうちに、社会的トラウマとなって宗教とは怖いもの、危険なものだと思うようになっていました。
学生時代の09年に米国へ約1年間留学する機会がありました。そこでは瞑想やヨガが当たり前のように盛んで、ある種のカルチャーショックを受けました。マインドフルネスが世に出始めたのもこの頃だと思います。当時の日本で瞑想なんてしていたら、めちゃめちゃ危ない人という印象を持ってしまう時代でしたが、米国での現状を肌で感じることができて、社会が宗教を拒絶する必要はなく、受け入れてもいいのかなと、宗教そのものを見直すきっかけになりました。
もし留学での経験がなければ東洋哲学との出合いもなく、著作も生まれなかったかも。
しんめいP そうかもしれません。ニートになって実家で50冊の東洋哲学書を読んでいた時には、14年間の社会人生活で立て続けに離職や離婚を経験し、実家に引きこもる息子の書棚に怪しげな本が並んでいることから「相当思い詰めているのでは」とかなり心配していたと、後から親に聞きました。私自身も思い詰めていたところは少なからずあったと思いますが、子どもの頃の宗教へのイメージが、い…
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