排外主義への警戒 日常レベルの交流が重要(11月5日付)
コンビニや量販店、飲食店などに行くと、必ずといっていいほど外国人の店員がいる。ほとんどのスタッフが外国人という店も見かける。日常生活において外国人の働き手は、極めて重要な位置を占めるようになっている。
出入国在留管理庁公表のデータによれば、2024年末の在留外国人は約376万人余で、日本の総人口の約3%を占める。年々増加傾向で、日本人の人口減少を考え合わせると、外国人が占める割合はさらに増えると予想される。
在留外国人の絶対数が増えれば犯罪数も増えると考える向きもあるが、実際はこのところ減少気味だ。そうしたマクロな状況の一方で、一部には外国人の増加による治安悪化や日本文化の崩壊を主張する人たちもいる。過激な主張がSNS上でエコーチェンバー現象を引き起こして、排外主義を唱える声が少なくないような印象を生んでいる。それをあおるように政治家が声高に叫ぶ例さえある。
オウム真理教事件を典型とするカルト問題では、宗教団体のごく一部が犯罪に関わったことが、宗教全体を怪しいと見なすような傾向を社会の一部に生じさせた。社会貢献に努め、平和や共生を目指す教団でも、疑いのまなざしを受けることが起きた。
外国人問題においても、類似の現象がいくらか生じている。宗教団体とか、外国人とか、自分とは関係ないと思った人たちを、十把ひとからげにして扱うことが、こうした見方につながってくる。「日本人ファースト」といった言説も、そうした発想につながる。グローバル化がもたらした負の側面をことさら強調することで、例えば共生というスローガンさえも後退させかねない主張である。
いろいろな民族、様々な宗教を信じる人たちが、同じ生活空間に住む割合が高くなれば、軋轢や衝突が増えるのは避け難い面がある。それは歴史上、あらゆる地であらゆる時代に観察されている。だからこそ、現代の多くの宗教は、共に生き、互いを理解し、異なる文化を受け入れるといった課題を重視し、それにつながるような活動に取り組んでいる。
排外主義は一定以上社会に広がると止めるのが難しくなる。それ故、宗教団体が在留外国人との交流を進める場を積極的に設けることも必要だ。国外の宗教組織との指導者同士での交流はいくつかなされているが、現在最も求められているのは、日常生活レベルの人的交流である。互いの理解にとって障害になっているのは何かを具体的に知る上で、多くの交流の場を設ける意義は大きい。







