「沖縄戦の図」展示のため美術館を開館した 佐喜眞道夫さん(78)
画家の丸木位里・俊夫妻が描いた「沖縄戦の図」(縦4㍍、横8・5㍍)を展示するため、沖縄県宜野湾市の米軍普天間基地内にあった先祖の墓と土地を返還させ、1994年に美術館を開館した。上野誠、ケーテ・コルヴィッツ、ジョルジュ・ルオーといった芸術家による生と死、苦悩と救済、人間と戦争をテーマにした作品を収集展示する。
磯部五月
美術館開館を志した原点は何ですか。
佐喜眞 疎開先だった熊本で育ちました。父は昼夜を問わず多くの患者を診る医者で、親族もなく沖縄人への差別の中で懸命に診療に当たりました。8歳で初めて沖縄に帰った時、木は一本もなくサンゴ礁の岩が白くむき出しだった。肉親の情のあつさには感激しました。
熊本では真宗寺(熊本市東区)の仏教青年会で「正信偈」を称え「教行信証」「歎異抄」を学びました。親鸞聖人の教えを聞いたことが後に画家の丸木位里・俊夫妻と意気投合する契機になりました。
立正大の歴史学科に進みました。石橋湛山学長の頃です。教師たちは仏教という精神的な基盤があり、ドンと構えていました。入学してみるとリベラルだったので驚きました。時代は全共闘のさなかで、私も闘士でした。サークル「中世史研究会」で京都の妙蓮寺に古文書の調査に行き、住職の歴史観や見識の深さに感動しました。相手を論破するために社会理論ばかりを勉強していた学生運動の浅薄さに気付かされたのです。
美術作品の収集を始めたのはどうしてですか。
佐喜眞 佐喜眞家代々の土地は普天間基地に接収され、軍用地代がわずかに入っていましたが、本土復帰の年の1972年に6倍に跳ね上がった。沖縄で貧富の格差をつくり、島ぐるみ闘争の分断をあおる政策だと考えました。4畳半の部屋に住み続け、不愉快な金のことは忘れるようにしました。しかしある時、百貨店を通り掛かり、いろんな物が買えることに気が付いた。お金の力に恐怖し、自分が試されていると感じました。自分も納得でき、人の役に立つお金の使い方をしたいと作品の収集を始めました。そして沖縄への思いはずっと持ち続けていました。
丸木夫妻との出会いは。
佐喜眞 83年に丸木夫妻の講演会に行きました。広島出身の位里さんの家は篤信の安芸門徒で念仏の生活を送る方でした。妻・俊さんは北海道秩父別町の真宗興正派善性寺の出身。原爆投下後間もなく広島を訪れ被害を目にした丸木夫妻は、朝鮮特需で経済的に潤うと戦争のことを…
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