縮小の中の成熟化 高齢宗教者の出番(1月23日付)
現在、日本における65歳以上の高齢者は約3600万人、人口の約3割に当たる。厚生労働省の推計によれば、2070年で高齢化率はピークを迎え、約4割の水準になるが、この時には総人口が9千万人を割り込んでいるという。高齢化と同時に少子化が進み、日本が人口の面で縮小しつつあるのは確実な情勢である。
一方、インバウンド数は、昨年ついに4千万人の大台を超えたと推計される。日本人口の優に3分の1の外国人観光客が日本を訪れているのである。確かにこれに伴う観光公害が指摘されているが、日本にはそれだけの魅力のある文化的な財が豊富だということである。そして、どこに行っても伝統的な神社仏閣が存在し、それは無自覚のうちに日本人の精神的な拠り所となっている。だからこそ、これら神社仏閣でごく一部の外国人観光客が不敬な振る舞いをした時に、“無宗教”だとされた多くの日本人が憤慨したのであろう。
ここに図らずも見えてくるのが、日本における精神的共有財としての宗教の存在だ。観光の対象になる神社仏閣だけではなく、全国津々浦々の寺社や教会もまた、日本の精神的共有財の役割を果たしている。そして数多くの宗教者が代々これらを支えてきた。高齢化や人口減少の中で、日本の宗教者が果たす役割は少なくないのだ。
こうしたことを踏まえた上で、持続可能な日本の未来像を見据え、日本社会の成熟化を目指すことを考えていく必要がある。着地点を定めていけば、高齢化や人口減少はむやみと恐れるべきものではなくなるはずだ。例えば、高齢者には医療や介護など、必要な支援は不可欠であるが、その一方で高齢者にもできることがいろいろとある。現在、65歳以上の就業者の割合は約14%、今や全就業者の7人に1人が高齢者なのである。
宗教関係職の場合、高齢者の割合はもっと高いであろう。高齢なるが故に、むしろ力を発揮できるのが宗教者でもある。教団や宗門では、後継者がいない、信者が減少していると嘆く前に、現状においても可能なことをいろいろと試してみてはどうだろうか。高齢者の気持ちは高齢宗教者なら分かるだろうし、年齢と共に積み重ねてきた人生の知に加え、長年経典類を読誦し、神仏と向き合って得た宗教の叡知を生かせるからだ。
マイナスをプラスに転じるのが宗教の持つ逆説的な力である。この事実に着目すれば、年齢を重ねるほどに、宗教者は精神的な力をよりいっそう発揮できるように思われるのである。








