災害ジャーナリズム 議論を引き起こす報道(9月4日付)
災害に向き合った記者が、息長く被災者に寄り添う報道を心掛けるのはもちろんだが、加えて災害に至った要因や責任関係を深く掘り下げ、体験を風化させない取材努力で減災を目指す。そんな働きを災害ジャーナリズムと称することがある。忌日が来ると目にする災害報道は、時に惰性的、情緒的になりがちで「記念日報道」とやゆされもする。一方、災害ジャーナリズムは被災者の生活再建や地域の復旧・復興の壁ともなる政治的・社会的な構造を注視し、世に問う報道姿勢と言えるだろう。
宗教界の問題を考えてみる。
東日本大震災以降、宗教施設が避難所となり、宗教者・教団の被災者支援も活発化し、地域コミュニティーの核として存在感を高めている。社会のセーフティーネットが不十分な状況の下、自治体などが寺社や教団等と災害時の連携協定を結ぶ動きも全国的な流れだ。だがマスメディアの報道は消極的で、7月の熊本地震でも寺社の被害などに関する報道は乏しかった。無縁社会が深化し宗教界の公共性が見直される中、その報道スタンスはフェアとは言えまい。
東日本大震災では、行政のしゃくし定規な政教分離原則の適用で宗教者・教団の支援活動が封じられるケースが生じた。宗教施設への公費助成の可能性も含め原則の柔軟運用が求められている。しかし、今も宗教界の被害状況が当局から公にされることはなく、歴史学者の北原糸子氏は著書『震災と死者』で、その空白を埋める仏教系メディアの報道や宗派を問わず定期的に被害状況をアンケート調査する本紙のデータを注目する。
ただ、地域コミュニティーの核とはいえ旧来の檀家制度や氏子制度を意味しない。また、寺社復興への公費投入に必ずしも多数の支持があるわけでもない。それでも憲法の理念を踏まえ宗教界の貢献や地域住民の理解と協力を支えとした宗教施設への公的支援が要請されている。減災を目指すなら、その議論を引き起こす報道がなされねばならない。災害ジャーナリズムが取り組む仕事であろう。
そもそも議論を深めることは、民主主義に不可欠なプロセスだ。『災害救援』など多くの著作がある精神病理学者の野田正彰氏は、近年の災害でその議論が衰弱していると憂える。「阪神・淡路大震災では当局と論争し、戦う市民運動が起こり、マスメディアも動かして不十分ながら一定の成果をあげた。被災者生活再建支援法もできた。今は、議論を尽くす阪神モデルがマスメディアも含めて継承されておらず、行政主導の復旧・復興に陥っている」と野田氏は指摘する。同感である。災害ジャーナリズムの奮起を期待したい。






