立場にあぐらかかず
顕本法華宗管長・総本山妙満寺貫首 奥村日拝氏(81)
顕本法華宗の管長、総本山妙満寺(京都市左京区)第308世貫首として4月21日に入山した。同寺は日什上人の創建。釈尊の教えと「経巻相承直授日蓮」を信条とする。思いがけず「猊下」と呼ばれる立場になったが「実際に現場を動かしているのは40~50代の面々。筆と墨は確かさがあるが、若い世代からはデジタルの知識も教わらねば」とおおらかだ。
指針とするのは「理想は高く、姿勢を低く」。戦前の思想弾圧「滝川事件」に抗議し京都大を退職、戦後に立命館大総長を務めた法学者・末川博氏から贈られた。同大が広小路にあった頃、文学部で哲学を学んだ。俗名・智学を見た梅原猛教授から「君はお坊さんか。部屋で勉強するだけでは駄目だ。行動して皆を導かないと」と言葉を掛けられた。
自坊は大阪府茨木市耳原の法華寺。先代の父・智定(日孝)は役場で勤務し寺を護持した。戦中は召集令状の作成に当たった。時世とはいえ、僧侶でありながら多くの人を戦地に送り出してしまった自責の念があったのか、生涯旅をしなかった。
師僧は父と懇意だった古瀬日宇・妙満寺第302世貫首。1968年に総本山が寺町二条から現在地へ移転した「昭和の大遷堂」の際の立役者で、自坊・妙祐久遠寺を烏丸高辻から嵯峨に移した経験を生かした。知識と緻密な根回し、檀家との交渉力が驚異的な傑僧だったと回想する。
「日蓮聖人は社会に目を向けた。自身も立場にあぐらをかかず、人々と対話し、何を考え、何に困っているかを知りたい」
(磯部五月)