戦争とAI 血の通った倫理的判断を(1月22日付)
AI(人工知能)を搭載した精密誘導兵器が初めて本格使用されたのは、今から35年前の湾岸戦争の時であった。この兵器には、利口で賢いという意味のスマートという形容詞が冠せられた。当時、ピンポイント爆撃と呼ばれた映像をニュース報道で見た人も多いと思う。それがまさにこのスマート兵器だった。その後、スマートという言葉がAIと同義に用いられ、AIを搭載した携帯電話はスマートフォンと呼ばれるようになったという。このように、最新テクノロジーはまず軍事利用として開発されるのだ。
私たちが生活のあらゆる場面でスマートフォンを手放せなくなったように、AI搭載のスマート兵器は戦争時に不可欠な武器となっている。コンピューターは生身の人間よりも記憶力や計算力に優れているばかりではない。近年開発された対話型生成AIは、自動的に機械学習を重ねて、より高度な応答や判断を提示してくれる。問題はそれがどのような目的で使用されるかだ。
スマート兵器と呼ばれた頃はまだ人間が遠隔操作していたが、搭載AIの機能が進化してくると、敵を識別して致命的打撃を与えるところまで自動化されることになる。アメリカ、ロシア、中国などの軍事大国は、そのような自律型致死兵器システムの開発にしのぎを削っている。恐ろしいのは、AIの軍事利用は個々の兵器レベル、戦闘レベルにとどまるのではないということだ。これまで交戦国の指導者たちは、戦争の立案からその遂行に至るまで様々なシミュレーションを描いて、敵にどう勝つかを検討してきた。しかし、近未来ではそうした戦争プランをAIに任せ、その最適解を出してもらうという事態も予想される。
人間がAIに重大な道徳的・政治的判断を委ねる時点を倫理的特異点(モラル・シンギュラリティ)ともいう。その最も危険な判断が戦争に関わる判断である。互いに戦争をしないという決断が最適解になるとは限らない。人間の関与を離れてしまえばどんな判断が出るか分からないし、誤作動の危険性も想定される。
だからこそ、政治家には、人間としての血の通った倫理的な判断を強く望みたい。そして同時に、政治家には、この人間的倫理のために常に宗教を思い起こしてもらいたい。なぜなら、どの宗教もいのちを大切にし、平和を擁護する教えを有するからである。宗教は倫理的判断の根底にあって、この判断を基礎付ける。宗教者が平和を絶えず訴え続ける役割もまさにそこにあるのだ。