地域社会の苦に関わる 宗教活動の現代的展開(8月27日付)
災害後の支援活動に宗教者が関わり、被災者の痛みに寄り添う活動を行う機会が増えた。阪神・淡路大震災の時はあまり目立たなかったのだが、東日本大震災では活発に行われ、宗教界の新たな動向として注目されるようになった。檀徒・信徒だけではなく、広く痛みや不安や悲しみを抱える人に対するケアを行う活動と言える。
支援活動に携わる宗教者・信仰者は、そこに大きな意義を感じている場合が多い。特に若い宗教者がこうした活動に関心を持つ例が増加した。地域社会の宗教者以外の人々の活動に積極的に関わる例も増えてきている。
寺や教会や支部組織内部に限られた活動では物足りないと感じているということもあろう。檀徒や信徒を増やすことに宗教活動の主たる目標を置く宗教者・信仰者もいるが、それだけでは何かが欠けていると感じるのだと思う。
寺で介護カフェを行うのもそうした動向の表れの一つだ。高齢者の介護で苦労する人は少なくないが、公共サービスだけでは介護の困難に対処する情報や資源が十分でない。地域住民同士が助け合うことは大いに力になるが、そのための場所や労力も得にくい。地域の寺院ならそれを担うことができ、住民たちをつなぎ、人々の力を引き出すことにもなる。
寺や教会などで子ども食堂を開く例も増えてきた。家に帰っても親は仕事が忙しくて不在で、食事を作ることもできないという子もいる。そういう子どもたちのために食事を提供し、それだけでなく居場所ともなり、他者との交わりの場ともなる。孤立しがちな人々に生きていく上で大切なものを提供する機能を果たしている。
これらは宗教活動とは別の何かだろうか。「宗教の社会貢献」という表現は、そうしたニュアンスを含む。だが、そもそも人が生きる上で大切な心の養分を提供することが多い活動である。そして、そのような支援活動が持つ意味を参加する人々に伝えてもいる。
だとすれば、地域社会の問題に取り組む活動は広い意味での宗教活動の中に含まれると考えてよい。そうした活動から宗教者・信仰者は意義深い何かを学ぶこともしばしばある。地域においてその存在価値を認知されることは、宗教的精神の力を人々に知らせることにもなる。過去、地域社会の痛みに関わる宗教活動は大きな意義を持ってきた。寺子屋の例を思い浮かべてもよいだろう。近代社会でその役割は縮小したようだが、今、新たに増幅の動向が目立つようになっている。現代宗教の新たな方向性を示唆するものである。