AIの進化の方向 「人間」の領域との関係(10月3日付)
AIの発達は文字通り日進月歩といえるスピードのようだ。いまや対話型生成AIは人間的に好感の持てる話し方で質問に答えてくれる。AIがお釈迦様に成り代わればどう教えてくれるだろうか?
アバターでもいいからローマ教皇に個人的に接見してもらえないものか。AIならできるだろう。そんな発想が生まれてもおかしくはない。
実際、バチカンの教皇レオ14世にその許可を求めた人がいた。教皇ははっきり「許可しません」と答えたという(カトリック系オンライン新聞Cruxに転載されたレオ14世インタビュー)。そこでは触れていないが、就任直後の記者会見で教皇がアフリカの某軍事政権指導者にエールを送ったフェイク動画が作られ、バチカンが急いで否定する一幕があり、悪用を警戒したようだ。
故教皇フランシスコ以来、バチカンは人工知能の可能性を評価するとしつつ、AI技術の暴走を警戒してきた。いち早く2020年には、バチカンの主導によってRome Call for AI EthicsというAI倫理に関する文書も発表されている。
米国の世論調査研究組織・ピュー研究所の最近の調査によれば、多くのアメリカ人はAI利用の増加に懸念を抱いており、AIの活用方法をもっとコントロールしたい、と考えているという。
日常生活をAIに支援してもらうことには前向きだが、AI依存が人間の創造的に考える能力や有意義な人間関係を築く能力を低下させると懸念する人の方がはるかに多い。
一般的に、人間あるいは人間性の独自の領域にAIが介入することには否定的である。アルバニアでAIを閣僚に「起用」したというニュースが話題になったが、この調査では60%がAIは国家統治の決定に役割を果たすべきではないと答えている。神への信仰についてAIはいかなる形でも助言すべきではないという答えは73%に達する。AIが示す判断が信頼できるかどうかは別にして、多くの人は「便利な道具」以上の役割を期待しない。それがいまのところAIに関する一般的な感覚といえるかもしれない。
AIの進化の方向を我々が見通しているかというと、自信を持って予測できる人は多くあるまい。AI技術の高度化を人間の理性や叡智によってコントロールできるかどうかも疑わしい。一部の意欲的な研究者は必ずや神の領域を目指すであろうが、その結果が「人間」の幸福につながるかどうかは問われるべきだろう。