この僕
人は誰しも、様々な属性を身にまとって生きている。国籍、人種、出身地、性別、年齢、職業、信仰――。挙げれば際限がない。では、それらの一切合切を捨て切った果てには何が残るのか◆「生まれた所や 皮膚や目の色で いったいこの僕の 何がわかるというのだろう」。ザ・ブルーハーツの曲「青空」の歌詞にある。まとったあれこれを脱ぎ去ってなお残るのは「この僕」、あるがままの自分ということだろう◆近年、多様性の尊重を意味するダイバーシティの考え方が、国際的な社会通念となっている。自分とは異なる属性や背景、価値観を否定したり差別したりすることなく認め合い、ありのままのその人を受け入れる。言葉で表すのはたやすく、行動で示すのは容易ではない◆今年は、同和地区名などを記載した書籍の流通が明るみに出た部落地名総鑑事件から50年に当たる。多様性という言葉が市民権を得る中、差別は依然なくならない。むしろ、SNSなどのインターネット上には誹謗中傷やヘイトスピーチなど、偏見や差別意識を助長しかねない書き込みがあふれる◆「この僕」同士が認め合える社会の実現に向け、わたしたち一人一人にできることは何か。宗教界も差別問題と無縁ではなかった過去がある。多様性の尊重はいのちの尊重と同義であるはずで、宗教者にしか果たせない役割があるに違いない。(三輪万明)