低信頼社会の世相 伝統仏教寺院の強み(3月25日付)
昨今の特殊詐欺事件を見ると、実に手の込んだものが多い。高齢者だけではなく、働き盛りの人間や若者までも標的にされている。摘発が難しいのは「匿名・流動型犯罪グループ(トクリュウ)」によるからだ。トクリュウはその名の通り、犯罪の中核人物が姿を現さず(匿名)、実行メンバーだけが次々と入れ替わる(流動)のが特徴である。しかも、拠点を海外に移し、そこから遠隔操作で犯罪を指揮しているケースが増えてきた。
犯罪を摘発するのは警察の役割だが、トクリュウでは警察官になりすまして、高額の振り込みをさせたりする。これでは警察の信頼が全く揺らいでしまう。本物の警察官が駆け付けても、偽警官ではないかと疑われてしまうという、笑うに笑えない実話すらある。
人と人との信頼はこうして崩れていく。本当に頼りになる人と、親切を装って近づいてくる人とを見分けるのは、案外難しいものだ。前者が一見素っ気ない印象を与えることもある一方で、後者が感じが良く、人が良さそうに振る舞っていることもあるからだ。日本はもともと高信頼社会で成り立っていたのが、次第に低信頼社会になっていくように思われる。その最たる現象が頻発する特殊詐欺事件であろう。このような世相に思いを致してみれば、人と人との信頼関係は、お互いに熟知していることが肝心だというのが分かる。この点で、伝統仏教は大きな強みを持っている。
寺院を構えてそこに僧侶がいる。匿名どころか実名を名乗り、流動どころか代々その地域の中に暮らしている。まさにトクリュウの対極にある存在だ。長年の近所づきあいや檀家との関係の中で、極端な話、その寺の暮らし向きさえ分かってしまう。実はそのことだけで、すでに信頼の証しとなっている。だとすれば、僧侶はもっと自信を持って良いはずだ。
門戸を開いていけば、よりいっそう自坊を地域の信頼の拠点にすることもできる。法話が巧みでなくとも、うまく愛想が言えなくても構わない。時間と手間を掛けて、人々の悩み事や心配事に耳を傾け、仏様との縁をつないでいけばよい。多少の誤解や行き違いがあっても心配するには及ばない。ずっと同じ地域にお寺を構えていくわけだから、いつかきっと解決することができる。
地域にお寺があり、そこに住職がいるというだけで、人々に安心を与えていくようになってもらいたいものだ。普段の関係構築ができていれば、いざというときにも必ず頼られるだろう。







