戦後80年 戦前の過ちを直視せよ(6月4日付)
本紙5月21日付で報じたように、戦後80年に当たり全日仏(理事会)と曹洞宗はそれぞれ声明を決議、ないし談話を発表した。全日仏の方は、非戦を貫いた仏教者もいたが戦争に加担協力した仏教者もいた事実に言及、曹洞宗の方は、国家政策や世論に迎合して積極的に戦争に加担したことを反省し、どちらも同じく反戦平和の決意を新たにした。早い段階で平和メッセージを出した浄土真宗本願寺派のような宗派もあるが、これから8月の終戦記念日に向けて日本の仏教界、宗教界では同様な声明や談話が出ると予想される。
戦争はある日突然始まるのではない。戦前の歴史を振り返ってみれば、それが分かるだろう。戦争開始に先だって、政府は巧みに世論を誘導し、また反対勢力の抑え込みを行った。硬軟合わせたやり方は、宗教教団に対しても同じだった。古くは明治末の「三教会同」以来、政府主催の宗教懇談会が度々開催された。政府当局は一貫して、宗教教団を思想善導や国民統合のために利用してきたのである。そして各教団の側も、思想善導は自分たちの社会的役割と自認し、国家の方針に進んで迎合したのである。
だが政府は時代の推移とともに締め付けを強化し、自らに対する批判的言辞を封じ込めていく。そしてこれに従わない宗教教団や宗教者を容赦なく弾圧していった。その背景に治安維持法の存在があったことを忘れてはならないだろう。戦後80年の今年は、1925(大正14)年にこの法律が制定されて100年目に当たる。
治安維持法は当初は共産党や非合法左翼政党を取り締まりの対象としていたが、何度か改正されて取り締まり対象を拡大し、自由主義や民主主義、反戦平和主義をも不穏思想と見なして監視と抑圧を強めていった。満州事変が勃発し、やがて日中戦争の泥沼に入り込み、国策として国民精神総動員運動が展開される頃には、もはや宗教教団は迎合どころか国家に無条件に従わざるを得なくなり、反戦平和の声を上げようにも上げられる状態ではなくなったのである。
宗教は確かに社会統合の力となり得る。しかしそれが政治に利用されてしまえば、宗教は人心収攬の道具になってしまう。戦前、そのようにして宗教は戦意高揚に動員されていった。戦後80年を迎えた今年、日本の宗教界は、国家との“共犯関係”を強いられた戦前の宗教教団の在り方を率直に反省し、そうならないように政治の動きを絶えず注視していくことが求められる。